<第一日目>
<<尾瀬へのエントランス鳩待峠から山の鼻へ>>
天候曇り、午前5時小金井を出発し、沼田で関越自動車道を降り、順調に戸倉までやってきた。
戸倉で車を泊めなければと思い込んでいたのが、駐車場の係員から「きょうは鳩待峠まで行けますよ。」と告げられ、予期せぬ情報に一瞬戸惑いを覚えたが、結果的に時間もコストも短縮できるので、(しめしめ、今回は旅の初めからついている)と手をたたきたい心境であった。戸倉から鳩待峠まではおよそ20分の曲がりくねった山道。鳩待の駐車場は意外と空いていた。
午前9時、リュックの中身と服装を点検して、さっそく鳩待峠から歩き始め、男三人のむさくるしい尾瀬ヶ原のトレックが始まった。第一日目は山の鼻から下田代・見晴まで広い尾瀬湿原を縦断する計画だ。
<尾瀬の成り立ち>
この雄大かつ繊細な自然をもたらした歴史とは・・・。
今を去ること遠い遠い昔、およそ2億年前のこと。至仏山が隆起して噴火、徐々に現在の山容を固めていった。景鶴山、アヤメ平、皿伏山など周囲の山々も長い年月をかけて同様の現象をくりかえし尾瀬の原形ができあがっっていく。
大きな変化はほぼ1万年前の燧ケ岳の噴火にある。流れ出した溶岩で只見川や沼尻川が堰き止められ、尾瀬沼や尾瀬ヶ原盆地が形成された。この古代尾瀬は単なる盆地に過ぎなかったが、その後、原は氾濫と堆積をくりかえし自然堤防ができあがる。あちこちにできた自然堤防に囲まれた草原は水はけが悪いためいつの間にか湿地帯に変化していった。これが尾瀬湿原の成り立ちである。
泥炭のこと。
湿地帯は養分も豊富でさまざまな水生植物が繁茂したが、その植物の遺骸が堆積して泥炭となった。泥炭の堆積は1年に1ミリにもならない。葦や菅やミズゴケも混じって堆積し、現在4−5mの泥炭層を形成しているが、その育成の速度からして数万年がかかっていると推測されている。
わたしの記憶では、北海道ニセコの神仙沼では泥炭が池塘に露出していた。
この湿原の土「泥炭」が尾瀬の草花を育てている。
鳩待峠から山の鼻までは1時間の下り。最初ややきつい急坂を下りるが足元が整備されているので歩行は楽である。膝の負担を考えゆっくりと下りる。快調だからといって油断するといきなり膝が痛み出すということもある。それに木道は滑るから気をつけないといけない。やがて下りは緩やかになり、ヨセ沢の橋を渡る。歩き始めの足慣らしには適当なコースである。
川上川がつかず離れず木道の左右に従っている。山の花も明るく開花し、嬉々として旅人を迎えてくれた。野鳥たちも呼応して騒がしい。
大岩を過ぎ川上橋を渡ると山の鼻キャンプ場が見えてきた。
10時10分、ログハウス風の「山の鼻ビジターセンター」で植物や地形などの知識を拾い、小休止。
この時点ではまだ尾瀬を見ていない。10時30分いよいよ尾瀬ヶ原に入る。
<<山の鼻から竜宮十字路へ>>
木道に乗って一歩を歩みだした。すぐ後に至仏山、前方彼方に燧ケ岳の雄姿が現れた。一瞬、現世から黄泉の国に昇天したような、天上の楽園に舞い降りたような、ふしぎな上昇感。突然、光景が変わってしまったのだ。わたしは変異の落差が大きいためにすっかりうろたえてしまった。すばらしいというよりほか、感動のことばも忘れてしまった。
皆がカメラマニアになってしまい、木道にたたずみ花の姿を追う。小さな尾瀬の花。歩行速度が著しく落ちる。それでいいのだ。この花たちにご挨拶をしにやってきたのだから。わたしは最低10種の新しい草花を撮ることを目標に決めていた。しかしもうこの瞬間に座り込んで何種類かの小さな植物たちと話し込んでおり、その目標が少なすぎることを実感したのであった。
紅紫色のハクサンチドリ、黄色いチングルマ、紫色のオオバタチツボスミレ、白花のチゴユリ、ピンクのトキソウなど。ほとんどが花弁2p前後の小花である。
少し目線を上げると自己主張の強い鮮やか色が目に飛び込んできた。白い綿毛の穂が湿原をおおっている。ワタスゲの群落だ。ワタスゲが風になびくさまは清らかで女性的である。橙黄色はニッコーキスゲ。この季節はまだ控えめで三分咲きというところ、あと二週間もすれば満開を迎える。ニッコーキスゲより赤く、目立ちたがっているのはレンゲツツジ。
撮影の手を休めてふり返ったら、手の届くところに至仏山が山腹に残雪を留め大きく横たわっていた。
この景観の見事さは、前述の小さな花々というディテールも含めた全体にある。至仏山の足元に広がる針葉樹林帯は緑濃く存在を誇示し、その手前にダケカンバの白い幹と草緑の枝葉がすっくと立ち並んでいる。そして湿原に咲く幾多の草花は可憐な花を茎の先に置いて初夏の風に揺れている。それぞれが自分の役割を十分果たして全体としてナチュラルにまとまっている。まさにおおらかな大自然の美とでも表現できようか。
わたしはほとほと参ってしまった。
ふだん都会の人工的な造形物にどっぷりつかり、競争しか頭にない感性に、自然のやさしさはずしんと堪(こた)えた。
「夏がくーれば思いだすー。はるかなおぜー、野のこみちー。」母親が歩きながら子供に聞かせている。そんな歌声がここでは違和感がなく実に自然に耳に入る。さわやかな発声は開放感がなせる業。
やがて牛首へ。
南側の小山が大きく張り出し、湿原がくびれているのでこの名がついた。牛首の前後には池塘が多い。池塘に咲くのはオゼコウホネ。黄色い小さな花を咲かせる珍しい花で、日本では山形県の月山と尾瀬のみに生育する。
もう一つ目だった花は、雅の香りがする濃紫色のカキツバタ。在原業平に有名な歌があった。
「からごろも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもう」
12時30分、竜宮十字路手前のテラスで昼食。
あらかじめ用意したコンビニのお握りと缶詰類を開けた。わたしは持参した赤ワインの栓を抜いたが、ワタスゲに囲まれて思いのほか豪華な昼食となった。はじめから昼食の背景としてせっかくの尾瀬を大事にしたいと考えていた。だから多少重くても食材は、尾瀬に見合ったものを用意した。そもそもこの旅はバリバリの登山とは違うのだから。
<<竜宮からヨッピ橋を経由して下田代へ>>
尾瀬ヶ原のところどころに立つダケカンバの存在感に強いインパクトを感じた。空の青さや湿原の緑の中に白い幹がアクセントになり、背景に馴染んでいる。いずれも絶好のカメラポイントとなっている。
ワタスゲとダケカンバの向こうに雲が低く垂れこめ、燧ケ岳は隠れようとしているが、その天辺がわずかに顔を出している。雨さん、もう少し待ってくれ、の心境である。
竜宮からヨッピ橋に向かう後姿・・・橘高氏撮影
前方にヨッピ橋が現れた。下流で只見川に合流するヨッピ川は透明な清い流れである。赤く塗られたヨッピ橋は、かつて木製の橋であった時代、雪解け水で何回も流されてしまったため、今では頑丈な鉄骨製となっている。冬季になると今でも、積雪の荷重を減らすため踏み板ははずされてしまう。ちなみにヨッピとは水・川の集まるところの意。ヨッピ橋からヨシの生い茂るヨシッポリ田代を経由して東電小屋に。
尾瀬と東電とは深い関係がある。そもそも尾瀬全体の70%は東京電力の土地なのである。明治以降、国にはこの水量豊かな湿原をダムにして電力を得ようという考えがあった。その準備のため土地の買収も済ませた。ところが自然保護の立場から反対の機運が高まり、この構想は実現できないで今日に至っている。いまでは東電は環境保護スタッフを大勢抱え、尾瀬の自然保護の第一人者の役割を担っている。木道や橋の整備、高度な浄化機能をもった公衆トイレの設置、動植物の生態の調査などハイカーの安心と安全を守っている。
うれしいことにその東電小屋は生ビールを販売していた。この日のゴールは近い。安心感も手伝い、おいしい一杯をいただいた。
30分ほど休憩して下田代に向かう。天候は一転し、霧が出てきた。すっぽりと雲の中にはいってしまったようだ。しかし尾瀬は木道と標識がしっかりしているから迷うことはない。赤田代への分岐を経由して、おいしい清水が湧き出る下田代に着いた。
3時45分、下田代・弥四郎小屋に到着したとたん霧が雨粒となって激しく落ちてきた。この日のわたしたちは明らかについていた。
<<弥四郎小屋>>
下田代十字路には弥四郎小屋、尾瀬小屋、桧枝岐小屋、第二長蔵小屋、原の小屋、燧小屋と六つの山小屋のほかにキャンプ場もあるが、わたしたちは湿原に一番近い弥四郎小屋を選んだ。
この日の宿泊客は30名と少なかったが団体客が入り込んだときなどは、収容能力いっぱいの300名と膨らむ。山小屋の切り盛りは11人の若いスタッフに任される。かれらの一日は長い。朝食が早朝6時だから、暗いうちから起きだして準備にかかる。宿泊客を送り出してからも次の準備のためのスケジュールが目白押しで、安穏としている時間は少ない。
小屋入りしてから発見したのは、ほとんどのスタッフが小屋の中を走っていること。寸分を惜しんで仕事をしている。どうやら300人シフトが身についているようだ。
かれらをほっとさせるのは午後9時。自家発電のため、いっせいに山小屋内の電気は消されてしまう。その後かれらを待っているものが熟睡なのか、何なのか知る由もないが・・・・・。
風呂から出てほっとした時間を過ごしていたら、雨が止んだ。下田代の木道に出て周囲を見渡すと、雲が静かに湿原の周りを這っている。幻想的な光景だ。小屋泊りのメリットはこういう瞬間に出会えることだろう。夕方や早朝、思いもしなかった景色に遭遇する・・・そんな瞬間をカメラに収める、満足至極。
夕食は山小屋らしい質素なもの。しかしお腹が空いているから美味しくいただける。500mlのビールをちびりちびりと大事に飲んだ。
周囲を見渡すと「尾瀬大好き人間」の集まりだけに、話に花が咲いている。それらの話をみんな聞きかじってしまいたい心境になる。いわく尾瀬耳年増。
部屋に戻り、昼間飲み残しのワインをいただく。
心地よい酔いが回る。9時就寝。
夜中、風が立て付けの悪い山小屋の窓を揺らし、ガタガタという音に何度か目を覚まされた。寒い。長袖のフリースを引っ張り出して羽織り、今度は熟睡。
<続く> 「尾瀬その2」へ
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初夏の尾瀬を歩く2003年7月
「尾瀬と呼ばれる地方は、風景要素を最も多量に備え、景色ははなはだ複雑し、変化に富む点で、邦内これと比肩し得る地はまれである。」
「尾瀬と鬼怒沼」武田久吉 著 平凡社発行より